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企業沿革

1844年(弘化元年)4月23日

初代 小川種吉

​1844年 東金にて商売を始める

    小川屋本店創業

創業時の営業品目

下駄・草履・馬道具・砂糖・鰹節・線香

​畳表・壁材料・火打石・・・他百般

始めた商売は荒物乾物を主として、あらゆる雑貨を

​すべてそろえた何でも屋式の商売でした。

​​2代目 小川種吉

初代 種吉が晩年常吉と改名、種吉の名前を

長男(市太郎)にゆずり二代目が家業を継承

実直な人柄であり

「二世亦其ノ志ヲ継ギ、拮据(きっきょ)(生活の苦しみにたえる)シテ経営シ、夙夜(しゅくや)(朝早くから夜おそくまで)家道ヲ懈(おこた)ラズ、家道滋興(じこう)セリ。」(原漢文)

​と墓碑にも刻まれている。

2代目 小川 種吉
1909年 明治42年
​3代目 荘三郎の提案で石材業を開始
​1914年 大正3年
小川 荘三郎が3代目として家業を継承
​商売人としての才覚があり、時勢の赴くところを先覚し、鉄道を利用した流通方法を取り入れ、
商売を盛りて立てる。
また、文筆にすぐれ小川健堂の号で
随筆集を残している。
小学校の校歌の作詞を手掛けたり、
書道にも優れていたので多く書を残し
​隷書を得意としていたりと文化面でも才あり

家政・営業・奉仕の三大方針を建て
​その方針が小川家の基礎となる
3代目 小川 荘三郎
​1943年 昭和18年
小川 一郎が4代目として家業を継承
戦後の復興に追われるこの時代
家業を隆昌しつつも、目を悪くしていたため早くして5代目に家業をまかせ、
東金市の発展に貢献
町会議員や商工会会長また、文化団体の会長も務めました。

 
4代目 小川 一郎
​1973年 昭和48年5月1日
小川 幸三郎が5代目として家業を継承
家業継承後は手始めに井戸水をくみ上げるポンプを販売
昭和58年 ㈱機材センター小川屋を設立
平成9年  八街に東金山田霊園を開設
平成11年 東金に倫理法人会を立ち上げ
​東金支部初代会長になる
5代目 小川幸三郎
​2020年 令和2年7月
小川 武子が6代目として家業を継承
小川屋本店初の女性社長
令和の時代 多くの女性社長が活躍し
社会の在り方、経営の方向性、様々な常識が変わりつつあります。
​社会に寄り添い、誰もが豊かで快適に暮らせる未来を常に考え、ベストなサービスを提供する経営者を目指しています。

 
6代目 小川 武子

     屋号 いもあらい

創業当時荒物雑貨を商売にしていた種吉が

取り扱い商品の中から芋洗いの道具を自分の店の屋号にしたと言われています。

江戸時代に使われていた道具で

水を注いだ桶やざるに土のついた芋をいれて

2本の棒を交互に動かしてかき回し泥をきれいに落とすときに使われていました。

東金商人 江戸への仕入れ

午前3,4時頃、なるべく誘い合って草履履きの膝栗毛で家を出る。時には山田の坂下で漁火をして人数を待つ。山越えで盗賊、追いはぎの難をまぬがれる為。山田か中野で東がしらんでくる。

その日は船橋泊りになる

​翌朝、行徳から船に乗り、小網町か霊岸島へ2日目昼過ぎにつく。片道2日の旅

当時は江戸への仕入れは1週間かかったといわれています。

明治15,6年頃

東金~千葉間を馬車が通う

朝6時頃東金を出ると夕方5時頃には

東京両国橋 永田屋とゆう馬車宿へ着く

東金商人の定宿は

​東京小網町2丁目 相模屋卯兵衛方

明治16年12月18日
東金町で大火事があった中
​多くの人の助力で守られた土蔵造りの店
明治33年 店前
明治34年2月汽車_edited.jpg

明治33年6月30日

​大網~東金間の鉄道が開通

明治38年 初荷風景
​1980年 昭和55年3月4日
東金市東金193にて
​小川屋本店 建材部を開設
1983年 昭和58年4月
管材商専門店として
​株式会社機材センター小川屋を設立


 
1987年 昭和62年12月17日
​千葉県東方沖地震の被害で本店と石材部の社屋を改修
​1997年 平成9
八街市山田台700-1にて
​東金山田霊園を開設
2025年4月3日
​小川屋ホールディングス株式会社を設立

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